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「コレハ、ダレニモ オコリウルコト」 このドラマの問題提起は成功していたように思います。けれどそれゆえさつき(加害者母)に同情があつまってしまい
原作にある
リアルなスパイスはどこかとんでしまった気はしました。
↓に続きます!

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ドラマでは加害者も被害者もどちらも可哀そうだった----と素直にそう思いましたが
原作では 母親の責任についてもっと 厳しいお話になっていた様に思います。
どう考えても 被害者には--何の罪もありませんからねぇ・・。
原作のさつきは
ネットに熱中しすぎた問題あり母でした。
「自分の好きなこと(ネット)にのめりこみ」んでいた彼女は
すでに母ではなくなっていたからです。
それは今迄 楽しみだった 子供の
「ただいま」を
「ネット(楽しいこと)の終了の合図」に変え、ついにはそれを--
「うとましい」とまで思うまでに 彼女を変貌させます。
子はソレを敏感に感じ取り いつしか「ただいま」をいわなくなっていました。
彼女はそれにも気づくことができなかった。「ずぶぬれだった日」智也はあの公園で暴行されてました。テレビではなんだか??だったですがさつきはネットに夢中で彼が帰ったことにきずかず、その異変にもきずかずただ ぬれ 汚れた服に 苛立ち 子を叱りつけていました。
。
そんな母を みつめ---智也が心を閉ざしていく様子は あまりにも悲しく身も震えるほどの恐ろしさでした。
ドラマでもその描写は在りましたが事件が曖昧化されたせいで その衝撃は原作の半分以下だったと思います。
でも・・・「やっぱり彼女は普通じゃなかったんだ。じゃなきゃこんなことは起こらないよね~。」って思いますか・・?
でも待ってください。彼女はただ
夫の無関心さや寂しさから、一人の子育てのストレスから、
ほんの少し逃れたいと願っただけだったのです。それは誰にもある思いのはすですよね。そういう意味ではやっぱり「起こりうること・・」と心しなければならないんだと思います。
事件の発端は、それでも母を愛していた彼が 報われない愛に飢えていた彼が 孤独の中で 母親の愛情を信じて疑わない無垢で純粋な「カレ」に出会ってしまった事でした。
2人は互いに
母の悪口を言った相手が許せなかった・だけだった・・・。
それは 殺人か事故か---。でも言えるのは、彼はやはり 「やりすぎてしまった」ということだ。
なぜその衝動を 怒りを 止められなかったのか---。
後の展開はほとんどドラマ通り。
被害者になった家族と加害者になった家族の心を追って展開します。
私のように働いていて「おかえり」といえない母親は多いはず。
塾や部活で話もままならずすれ違ってる家庭も----。
そんな中でどう子供とむきあっていくべきなのか・・・。
この作品の答えは---
「海容(広い心で 許すこと) それは 確かに 子育ての苦悩を変える 1つの方法なのかもしれないですね。
私たち母親は子に 大きな心で接しよう。---。
そして 自分を囲むすべての人にそんな気持ちをもつてほしいと---。
そしてもちろん、人の命を奪ってはならない!!ことを伝えよう。
そんな声をきいたのでした。
コレはドラマの中にもちゃんとあったと思っています♪
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